“安全な乗り物”と信じていたエレベーターが死亡事故を起こした。
あれ以来、どこへ出かけてもエレベーター製造会社名の表示に目をやるようになってしまった。 ニュースを見て驚いたが、近くのマンションのエレベーターで似たような不具合が何度も起きていたらしい。 メーカーは港区のマンションと同じ、シンドラー社。 恐ろしい! 1995年2月2日(木)、私は暴走エレベーターに乗り、恐怖の体験をした。 場所は恵比寿ガーデンプレイスのタワー(39階)の展望エレベーター。 当時、このエレベーターは高層ビルの中で最速と言われていた。 日記を読み返して、忘れていたアノ記憶がよみがえってきた。 前年秋にオープンした恵比寿ガーデンプレイスのタワーは、“都内有数の展望が得られる”と評判だった。アノ日、“最上階でランチを食べよう!”とエレベーターに乗り込んだものの、超満員で驚いた記憶がある。恐らく、乗客のほとんどが一見客だったと思う。 最上階に着いたエレベーターは、一度大きく揺れ、ドアが開かなかった。 しばらく停止していたが、誰もが“そのうち開くだろう”と気楽に考えていた。 ところが突然、急降下。 ガラス張りの展望エレベーターだから、ビルの外がよく見える。 揺れながら猛スピードで降下、…というよりは、ガラスのコップが手からすり抜けて落ちるように、“落下”している感じだった。 乗客の中には悲鳴を上げる女性や怒り出す男性などがいて、エレベーター内はパニック状態。 恐ろしかった!! 降下中、誰かが非常ボタンを押したが、応答はなかった。 一瞬、“これで死ぬかも”と思い、胸がドキドキしたことを覚えている。 阪神大震災が起きてちょうど2週間。 誰もが首都圏の大地震を想像し、恐怖に陥っていた。 怒り出した男性は、「地震か? 降ろしてくれ! 2度と乗るもんか! 冗談じゃない! 管理人はいないのか!」と、乗客の気持ちを代弁するように叫び続けていた。 5階ぐらいまで下がってスピードが緩やかになったので、ホッと胸をなで下ろす。 しかし、エレベーターが停止しても、ドアは開かなかった。 “ドアが開いたらすぐに降りよう! もう2度とガーデンプレイスには来ない!” アノ瞬間、私はそう思っていた。 すると、エレベーターは急上昇し、再び暴走を始めた。 2度目に最上階に着いた時、初めて緊急用スピーカーから男性の声が聞こえたが、聞き取りにくくて何を言っているのかさっぱり分からなかった。 “39階”の電光表示を確認した後、祈るような気持ちでドアを見つめた。 …開いた! 乗客は大慌て(押せ押せ)で最上階フロアに逃げ出した。 すごい剣幕で怒っていたオジサンも勢いよく飛び出し、ビル管理室を探しに行った…。 こんな恐ろしい体験をしながら、私はその後、何のアクションも起こさなかった。 予定通り、最上階のインド料理店に入り、本格派カレーやヨーグルトを注文。 しかし、恐怖の体験がよみがえり、美味しいはずの料理は食べた心地がしなかったし、眼下に広がる都心の風景など、まったく目に入らなかった。 今思えば、実に脳天気なことをしていたものだ。 同じ頃、阪神地区の同胞らは震災の後片付けに追われ、ペットボトルの水を仲間に配り歩いていたのだから! あの狭い密室の中で、オジサンの怒鳴り声は明らかに他の乗客の恐怖感を煽っていた。 パニック現象の根元だった! しかし、彼はエレベーターを降りた後、ビル側に事実を伝えるべく、行動を起こしていた。 アレから十数年経った今、私はあのオジサンと行動を共にすべきだったと深く反省している。 エレベーターの“安全神話”は崩れ去った。 港区のマンションの死亡事故はもちろんのこと、他のエレベーターの不具合に関しても、徹底的に原因を究明して欲しい。2度とあのような痛ましい事故を繰り返さないように、製造会社も保守管理会社も、“安全な”対策を打ち出して欲しい! アレ以来、私は恵比寿ガーデンプレイスに何度も足を運び、ショッピングを楽しんでいる。 ウェスティンホテルのレストランでも何度か食事をしている。 しかし、タワーにだけは… 1度も行ったことがない。 ちなみに、恵比寿ガーデンプレイス・タワーのエレベーターはコチラの製品。 世界最大の総合昇降機メーカーらしい。 同社のSignature Projectsには、NYのクライスラービル、トロントのCNタワー、六本木ヒルズなど世界有数のビルばかりが…。
by smile-kazuyo
| 2006-06-17 18:04
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