開館25周年を迎えた浦安市立中央図書館で
「図書館まつり」が開催された。 記念講演会の講師が英文学者・演劇評論家の 小田島雄志氏だったので、事前に申込みをし、 午後に受講してきた。 タイトルは… 「文学と言葉~シェイクスピアとせりふ~」 小田島先生はシェイクスピアの全作品を翻訳 なさっている。(坪内逍遥に続く) 私が先生の名前を初めて知ったのは大学時代。 当時は、渋谷の宇田川町山手教会の地下に 「ジャン・ジャン」という名の小劇場があり、 シェイクスピア・シアター(出口典雄氏主宰)の 公演がよく行われていた。 「ジャン・ジャン」で観た、小田島雄志訳によるシェイクスピア演劇は、私のそれまでの“演劇 体験”を覆すものだった。 確か、初めて観た芝居は「じゃじゃ馬ならし」だったと思う。 大道具なし、登場人物はジーパン姿、使う道具はただの椅子だけ(確か?)という余りにも シンプルなセットに驚くと同時に、躍動感溢れる“せりふと演技”だけでシェイクスピアの芝居が 成り立ってしまうことに新たな感動を覚えた。 アノ時代(70~80年代)の演劇は、あのような小劇場で成長し、進歩し、進化していったのだ と思う。 (ちなみに、「ジャン・ジャン」はライブハウスとしても利用されていた。 五輪真弓や山崎ハコなども、ライブ活動の拠点にしていたはずだ。 “小劇場”というよりは、今でいう“イベントスペース”と表現した方が相応しいのかもしれない。) 小田島先生は「会話とせりふの違い」について、 ①『会話と演劇語』 ②『Narrative ElementとDramatic Element』 ③『ことばの節約化』 ④『言葉の豊饒化』 という内容で、数々のエピソード(時に脱線話も)を盛り込みながら、笑いを誘いながら楽しく 語られた。 ①… シェイクスピア演劇のせりふには、同じような言葉がしつこいほど繰り返される場面がある。 それは、せりふの中の言葉が伝達手段の道具だけに使用されているのではなく、登場人物が 自らの言葉の意味を考え、自らの意思を確認し、自らの心(精神)を成長させる過程までもが 表現されているのだということを、『ロミオとジュリエット』や『ハムレット』といった有名戯曲の 場面をいくつか例に挙げて、強調なさっていた。 ③… ①とは違い、簡略化された言葉+演技・顔の表情=せりふ である。 最近のテレビドラマでは、コレが出来る役者がほとんどいない。 非常に残念だ。 劇場型の小泉純一郎氏は“言葉の節約化の天才”だと褒めて(多分)らした。 自宅に戻り、小田島先生の年齢を調べてみた。 77歳! 驚き! お元気である! 講演中(2時間)は、ずっと立っておられた…。 恐らく、日本各地で今日のような講演をこなしていらっしゃるのだろう。 年間380本の映画をご覧になっているという話にも驚いた。(1日平均1本以上!) ご本人は「自らを“シェイクスピアのセールスマン(宣伝マン)”、“芝居のセールスマン(宣伝 マン)”と呼んでいる」と楽しそうにおっしゃっていた。 今後もお元気で活躍していただきたいと願う。(^^)
by smile-kazuyo
| 2008-08-30 23:52
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