(写真:羽田空港~新浦安地区 リムジンバス停)
週末、福井へ行き、伯母の通夜と告別式に出席した。 享年83歳。 直接の死因は突発性間質性肺炎だった。 昨秋、伯母を見舞った時、帰りがけに握手をし、その握力の強さに長期の生命力を感じたの だが…、今年に入って容態が悪化し、帰らぬ人となってしまった。 伯母は伯父(父の兄)の連合いだから、私との間に血縁関係はない。 しかし、私は幼い頃から、よく可愛がってもらっていた。 いたずらや悪ふざけをすれば、我が娘のように叱り、たしなめ、辛く苦しい時期には陽気に 励まし、精神的なバックアップをしてくれる、強くて心優しい伯母だった。 また一人、親族が亡くなった。 寂しい。 小松行きの機内で、私は昔の想い出にひたりながら一人涙した。 表日本は雲一つない晴天。 離陸後、皇居、代々木公園、新宿の高層ビル群、西武ドームや多摩湖・狭山湖、奥多摩・ 奥秩父の山々、八ヶ岳、諏訪湖、北アルプスの穂高連峰や槍ヶ岳など、すべて肉眼で はっきりと確認することができた。 ところが、飛騨高山周辺から雲がかかり始め、裏日本は全体的に厚い雲に覆われていた。 まさに冬型の気圧配置。 白山(ハクサン)上空も雲は厚かった。 数十年前、母や伯母と一緒に「白山に登ろう!」と山の話で盛り上がったことがあったが、 スケジュールの調整ができないまま、結局、実現できなかった。 “私がもっと積極的に計画すれば、いい想い出が残せたのに…”と振り返りながら、しばらく の間、厚い雲をながめていた…。 福井市の斎場に入り、伯母の遺影を見た瞬間、再び涙が溢れた。 “あの写真は… !” 祭壇に飾られた写真は、私が撮ったものだった。 一昨年の伯父の葬儀後、私は親族14名に声をかけ、集合写真を撮影した。 その後、四つ切に引き伸ばして額に入れ、従兄に送ったのだが、私の願いどおり、その写真は 伯父の仏壇の横にずっと飾られていた。 写真の伯母は正面を向き、何かを話したそうな、柔らかな表情をしている。 5人の孫に囲まれ、伯母らしく、自然で、優しい、いい表情をしている。 遺影を見て驚いたが、葬儀の準備に多少なりとも貢献できたような気がして、私は嬉しかった。 写真を採用してくれた従兄たちの心遣いに感謝(!)である。 通夜が終わり、最後に斎場に残ったのは、従兄2人と兄と私の4人。 子どもの頃は、この4人でよく遊んだものだ。 家では徹夜のポーカー、大貧民ゲーム、麻雀…。 当時は、幼い私だけハンディをもらって勝負をしていたのだが、それがいつも悔しかった。 早く一人前の勝負がしたいと思い、小遣いでトランプの攻略本を買ったことなどを思い出す。 伯父が亡くなり、父が亡くなり、伯母が亡くなり…、斎場には従兄妹同士が4人…。 こうして、4人だけで同じ卓を囲むのは実に数十年ぶりのこと。 伯母の最期の話、両親の介護、子どもたちの結婚・就職・受験…、さまざまな話を4人で 心置きなく語り合うことができた。 これも、伯母が作り出してくれたいい機会だったのかもしれない。 伯母さん、今までお世話になりました。 そして、本当に有難うございました。 どうぞ安らかにお眠りください。
by smile-kazuyo
| 2009-02-09 22:34
| 家族・親族
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