両親の入居するホームでお祭りがあった。
昨年同様、スタッフは浴衣や甚平に着替えていた。 入居者やスタッフはセンターコートで盆踊り。 飲食の模擬店は大忙し。 咀嚼機能が低下している老人(母も含め)もいるため、“刻み食”メニューも用意されていた。 例えば、焼きソバ、フランクフルト、おでん、豚汁などが、細かく刻んでパックされてある。 裏庭には、ヨーヨー釣りや金魚すくい、くじ引きコーナーなども設置され、楽しい雰囲気が漂う。 私は娘2人と一緒に出かけた。 兄夫婦、従兄夫婦も来てくれたので、我が家は大勢でにぎやかだった。 父は大喜び。 嬉しそうに友人や家族にビールをふるまっていた。 認知症の母は、先月「介護度4」の認定を受けたが、にぎやかな雰囲気はよく分かる。 ニッコリ笑顔をみせてくれたのでホッとした。 お祭り最後の花火。 ![]() ![]() More ■
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by smile-kazuyo
| 2006-08-27 23:45
| 介護
両親の想い出の写真を数十枚スキャンして、ミニ・アルバムを作成している。
2人とも現在は介護付き老人ホームに入所しているが、父の話題は遠い昔のことばかり。 父は退職後5年で脳梗塞になり、療養生活が長いので、元気だった若い頃の話をしたがる。 ホームの生活も早1年が過ぎ、友人もできたようだ。 嬉しいことに、遠方から訪問してくださる旧友もいる。 有難い。 そんな友人とこのミニ・アルバムを見ながら、昔話に花を咲かせてもらえれば幸いだ。 個人的に興味深い写真をピックアップ。 (船乗りだった父) ![]() (バレーボールで国体に出場した母 …終戦直後) ![]() (両親の結婚式 親族一同 …53年前) ![]() (父の転勤に伴い、兵庫県西宮市から東京都世田谷区へ転居 …47年前) ![]() ■
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by smile-kazuyo
| 2006-08-24 22:33
| 介護
65歳以上の高齢者が過去最高の2560万人(05年10月)となり、総人口に占める割合が初めて20%台に乗った。先進国の中では、イタリアと並ぶ最高水準の高齢化率になったそうだ。一方、05年度の出生率は1.25で、04年度の数値を更に下回った。私たちが60代、70代になったら、人口の年齢構成は一体どうなるのだろう。
浦安市では毎月1回、成年後見制度や遺言、相続に関して弁護士が相談に応じている。 この制度に関しては、法務省HPで詳しく説明されている。 認知症,知的障害,精神障害などの理由で判断能力の不十分な方々は,不動産や預貯金などの財産を管理したり,身のまわりの世話のために介護などのサービスや施設への入所に関する契約を結んだり,遺産分割の協議をしたりする必要があっても,自分でこれらのことをするのが難しい場合があります。また,自分に不利益な契約であってもよく判断ができずに契約を結んでしまい,悪徳商法の被害にあうおそれもあります。このような判断能力の不十分な方々を保護し,支援するのが成年後見制度です。…興味のある方は、じっくりお読みください。 成年後見人の仕事、実は予想以上の重責らしい。先日、TVで取り上げられていた。 遠方にいる、子供のいない叔母さんから「成年後見人になって欲しい」と依頼され、引き受けてはみたものの、何をどこまでやってあげればいいのかが分からず、責任を感じて苦しくなっていった…。というような人が増えているそうだ。 私の実母は認知症になった。物忘れの症状は徐々に悪化。まさかの病気だったため、親族は財産管理状況を把握するのが大変だった。家族であっても、どこの金融機関と取引しているかは案外知らないもの。しかも、最近はインターネットバンキングなどの利用で、すべてがパスワード管理されているから、なお更ややこしくなる。“秘密のパスワード”なんて楽しい響きに聞こえるが、そんな謎解き小説のような明るい話ではない。 後に残る者たちに、少しでも迷惑をかけないように、財産目録作りはキッチリやっておいた方がよさそうだ。バックアップも必要か? 預貯金や不動産、株式証券、自動車など金銭価値のあるものはすべて計上し、住宅ローンなどの負債もまとめる必要がある。毎月の生活費の収支、年金や株式配当などの収入も一覧にしておくとよさそう。 さあて、私の場合は知的財産をまとめるのが大変だなあ…。 え? そんなのあったの? …と言われないように生きていかなくちゃ(*^^*) ■
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by smile-kazuyo
| 2006-06-06 08:31
| 介護
父が2ヶ月の入院生活を終えて退院した。
始めは、検査入院2週間⇒手術(胃癌の切除)⇒静養2週間で、1ヶ月余りで退院できると言われたが、途中で肺炎を患い、予定より入院生活が長引いてしまった。 しかし、術後は順調に回復。傷口は未だふさがっていないが、消毒を続ければOKとのこと。 食事は五分粥程度だが、2週間後には普通食に戻せるらしい。 退院直後、病院の駐車場で病棟をバックに記念撮影。父はニッと笑って“ピース”をした。 今まで、そんなポーズをする父を見たことがなかったので、皆で大笑い。 その後、父は再びホームに戻った。ホームには診察室があり、何かあったら看護師が対応してくれる。今後のケアは元の病院にお願いする。 「ビールは刺激があるからやめておきましょう。日本酒なら飲んでも構わないですよ。杯にちょっとずつね。」と担当医に言われ、父は目をキラキラと輝かせていた。 退院、おめでとう!\(^o^)/ 執刀医のドクターチーム&看護師の皆様、お世話になりました。 ■
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by smile-kazuyo
| 2006-04-30 02:03
| 介護
胃癌の手術を終えた父は順調に回復している。
抜糸(糸だろうか?大きなホッチキスみたい…)して2日経つ。お腹に力を入れても、もう痛みを感じないようだ。こうなると、一日でも早く退院したいらしい。点滴がなくなったので、あとは食事リズム(少量をゆっくり食べる)をつけることが大切。食事は重湯と白身魚や野菜の煮付けなども食べられるようになった。食事量の目安は、通常の病院食の約半分。術後は「ダンピング症候群」に気をつけなければならない。食事時間が短いと具合が悪くなるらしい。(近畿大学医学部HPに分かりやすい説明がある。興味のある方はご覧ください。) 入院から手術までの1ヶ月半は、父にとっても私にとっても長い時間だった。唯一のストレス発散は病院内の散歩。散歩といっても車椅子での移動。父は杖があれば歩けるが、衝突・転倒事故を未然に防ぐという理由で、車椅子で移動するように病院側から求められた。院内の散歩といっても、東西2箇所にある売店に行くだけ。女性患者の大部屋から桜並木が見えるので、桜の開花シーズンにずうずうしく入らせてもらって、窓越しで花見をしたこともあった。 病棟エレベーター内の壁には、館内案内表示の大きなプレートが張ってある。父はエレベーターに乗ると、必ず他の患者や見舞い客に「ここにだけは絶対に行きたくないですなぁ」と言いながら、プレートの“地下1階 霊安室”を指差す。私は最初、「何言ってるのぉ?」と言いながら、他の人に苦笑い。しかし、毎度言うものだから、だんだん他の人の反応を冷静に観察するようになってしまった。 看護師1・・・「そうよ。だから治しに来たんでしょ? 頑張って」 見舞いの中年女性1・・・笑いながら「ええ、ええ、ホントにね。絶対に行っちゃダメよ!」 看護師2・・・「やだもう…。」 点滴スタンドにつかまる男性患者・・・「ほーんとだよね。なんでこうなっちゃったか…。オレ退院するからね。まだ見通しついてないけどさ。」 見舞いの中年女性2・・・「そうですよ。もちろんー」と父の肩を叩く。 看護師3・・・大笑いして「そう言う人は絶対に行かないよ!」 パジャマ姿の老人患者・・・こっくり2回うなずく。 見舞いの若者・・・「れい・あん・しつ… かぁ…」 見舞いのヤ○ザ風の男性・・・鼻息だけ。 看護師4・・・「そうそうそうそう!」 狭い空間をほんのわずかな時間共有するだけなのに、返事をしてくれる人は結構いるものだ。 執刀医 「肺炎を起こす危険は少なくなりました。月末退院を目指して、頑張りましょう!」 うまくいけば今週末に退院できそう! ■
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by smile-kazuyo
| 2006-04-24 13:38
| 介護
福井に住む伯父と従兄が、はるばる父の見舞いに来てくれた。
午前3時に家を出て、高速(東名⇒湾岸)を飛ばし、6時間あまりで浦安に到着! 父を見舞った後、我が家に来てもらい、一緒に昼食。 メインは「お座敷天ぷら」。 ![]() 病室を去る時、父は「わしも一緒に行く!」と言い出した。 2日前に癌の手術を受け、昨日一般病棟に戻ったばかりの患者とは思えない。 「その気力さえあれば大丈夫!」と皆で笑い飛ばし、父を残して病室を出た。 この従兄とは幼い頃に同居していたので、私にとっては兄のような存在。 農業を営む伯父は、平成元年の新嘗祭(*注)で福井県代表に選ばれ、秋に五穀(米、麦、豆、あわ、きび、またはひえ)のあわを宮中に献上した。田んぼで働く伯父が、モーニング姿で宮中に参上する姿はどうも想像がつかない。久しぶりに伯父と従兄とゆっくり話をした。『遠くの親類より近くの他人』ということわざがあるが、ウチの家系に関しては、そのようなことは全くない。中国の三門峡に住む叔父からは毎日のように電話が入る。 *注: ![]() 収穫した「もち米」と巨大な「椎茸」をおみやげにもらった。 真ん中の椎茸は直径20センチほど。 ちなみに右隣りの椎茸は、昨日イトヨで購入した椎茸。 ■
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by smile-kazuyo
| 2006-04-16 23:44
| 介護
![]() 中央手術室では同時に何人の手術ができるのだろう? 待合室では少なくとも4家族が手術終了を待っていた。 父の手術はだいたい予定時刻に終了。 それでも他の患者さんが出た後、一番最後だった。 執刀医から、切除した胃袋3分の2を見せてもらった。 ![]() 覚醒後、手術室から出てきた父は顔面が真っ白だった。 手術は無事に終わったようだが、合併症の肺炎が心配。 術後も執刀医、麻酔医、看護師が頻繁に出入りして経過観察。 早朝から夜まで病院にいて、できるだけ父に声をかける。 ■
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by smile-kazuyo
| 2006-04-15 00:19
| 介護
父の手術は14日(金)の予定。
昨夕、執刀医による手術説明があり、本人、兄、私の3人で詳細を聞いた。 病名は胃癌。前庭部(下部)の進行癌だ。 入院当初は腹腔鏡下手術と言われていたが、結局、開腹手術となった。みぞおちから臍の下まで切るらしい。手術の合併症では肺炎が一番危険。ヘビースモーカーだった父は、17年前に脳梗塞になり禁煙者の仲間入りをしたが、それまでの喫煙で肺の機能が低下している。術後は、傷口が痛くても“たん”を出さないと、すぐに肺炎になってしまうらしい。父は「頑張って“たん”を出してください」と励まされていた。 手術説明は約45分間程度。医師は患者と家族の目を見て誠実に説明してくれた。 同席した女医から詳細な診療録の控えをもらう。 父は医師の話を真剣に聞いていた。開腹手術に切り替わったので、やや驚いていた。 簡単な手術ではないのかもしれない。医師の腕を信頼しよう。 元の病院に手術日の連絡をした。(癌を発見して、紹介状を書いてもらった) 先日、病院長から心配の電話をいただいた。長年お世話になっているとは言え、とても有難い。 今日は手術前の最後のシャワー日。 半身不随の父は体が洗えないので、私がいつも一緒にシャワー室に入る。 (短パンにゴム長靴スタイル) 今日は特に念入りに全身を洗ってあげましょう(^^)! ■
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by smile-kazuyo
| 2006-04-12 13:05
| 介護
大学時代からの親友S子が、父の病院へお見舞いに来てくれた。
彼女は私の旅行仲間、飲み仲間であり、よき相談相手。年に数回会って、おいしいお酒を一緒に飲んでいる。その昔、初めて我が家に遊びに来てくれた時、父も一緒に飲んで意気投合。以来、父の飲み仲間(?)になってくれている。事前に彼女の見舞いを知らせておいたせいか、父は驚くほどしっかりとしていた。ヒゲを剃り、顔も洗ってスッキリサッパリ。準備万端整えて、彼女の到着を心待ちにしていた。 “人に会う”という行為が、これほど精神を立ち直らせるものなのか? 入院して早1ヶ月以上経ったが、うれしそうに話す父の顔を見てホッとした。 ベッドサイドのTVにカメラをつなぎ、3人で一緒に長女の入学式の写真などを見る。 「お父さん、退院祝いで一緒にまたビールを飲みましょ! しっかり治して出てきてくださいよ!」 「おお、そうやな」 年代を超えた飲み仲間2人が握手を交わす。 父の手術日は未だ決まっていない。 彼女の見舞いは、毎日病院に通う私にも大きな力となった。本当に有難う!! ■
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by smile-kazuyo
| 2006-04-04 23:59
| 介護
昨日、ショッピングの途中に、父の病院から電話。
父が突然激しい腹痛を訴えたらしい。 検査の結果、腹膜炎、或いは胃袋が破れている可能性があるので、緊急手術をするから来て欲しいと呼び出された。外泊時は元気そうに食事をしていたので、医師からの話がよく理解できない。とにかく、兄や家族に連絡を入れ、大慌てで病院にかけつける。 病院に着いた時には、父の容態は改善されていたので、緊急手術は取り止めとなり、経過観察に変更。しかし、肺の機能が低下しているため、17日に予定されていた手術は延期となった。 父はかなり弱気になっている。 そばにいても、離れていても、私自身は病状改善の役には立たない・・・。 レントゲン、CT、白血球、CRP・・・ 画像を見ても、数値の説明を受けても、結局「ああ、そうですか・・・」「・・・お願いします」としか言えない自分がもどかしい。 免疫グロブリン製剤の投与にあたり、本人あるいは家族の承諾がいると言われ、サインを求められた。簡単な説明はあったものの、実はよく分かっていない。 処方に関しては、こちらも勉強していかないと、すべて??? で流れていきそう。 しっかりしないと! 今日は午前、夕方、深夜と3回、病院へ通った。 気力・体力ともに疲労を感じる・・・。 鏡に向かって 「笑え~! 」 ■
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by smile-kazuyo
| 2006-03-15 23:59
| 介護
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